お知らせ
中3:理科(課題図書「雑草はなぜそこに生えているのか」)
中学3年生の理科では、
定期的に課題図書を設定しています。
7月考査は2冊の課題図書を設定し、
そのうちの1冊は稲垣 栄洋の「雑草はなぜそこに生えているのか」でした。
身近な雑草の生態を事例に、人生観にも言及するこの本を読み、
生徒たちは、より良い探究活動を考えるきっかけとなったようでした。
生徒たちの書いた感想の一部をご紹介いたします。
- 僕はこの本を読んで、印象に残ったことが二つあります。一つ目は雑草の定義です。厳密な定義はないけれど、日本には7000種もの種子植物があるのに、500種しか雑草として扱われていないということに驚きました。二つ目は雑草の巧みな戦略です。発芽の時に全滅しないようにさみだれ的に発芽したり、発芽した後の条件が悪いと一度休眠する二次休眠という機能があったりしてすごいなと思いました。また繁殖では二つの受粉方法持っていたりすることにとても驚きました。僕は思っていたよりも雑草はとても奥が深いなと思いました。
- この本を読んで、「雑草」のイメージが変わった。以前まで自分は雑草はしつこくて、抜いても抜いても生えてくる生命力の強い植物だと思っていた。しかし、この本には雑草は競争に弱く多くの植物が生えている森の中などには生えることが出来ない植物であることが分かった。そして、雑草と植物の発芽条件にも違いがあり、植物は、水、酸素、温度があれば発芽するが雑草は「休眠」という性質があり、この3つの条件だけでは発芽しないということも分かった。
そして、「雑草魂」というのは踏まれても、立ち上がる事ではなく、踏まれても踏まれても、必ず花を咲かせて種子を残す事。つまり、無駄なことにエネルギーを使わず大切なことを見失わないことであった。このことを読んだ時、自分も大切なことを見失わずに生きていきたいと思った。 - 昔から私は雑草に対して「雑草は強いからどこからでも生えてくる。」「ただの邪魔な草。」と思っていた。今までの14年間ずっとである。しかし、今回、この本に出会って雑草に対するイメージが思いっきりひっくり返った。まず、この本を開くとなぜかドラえもんの話が…。この定義の仕方はとても面白かった!一気に私は本の中の世界に引き込まれ虜になった。そして第1章を読み始めるとそこからずっと衝撃的なことが書いてあった。特に衝撃的だったのは第2章。「『雑草は強くない』??」「何を言ってるんだこの人は」と思った。この一言は私の雑草に対するイメージを根本からごっそり持ち去って言った。「雑草みたいに強く、タフになれ」というようなことをなんとか言われたことがある。「雑草は強い。私もそうならなければ…!!」と言われるたびに思ってきた。しかし、この本に書いてあったのは「雑草は強くない」という一言。私は一瞬目を疑い、受け入れることができなかった。コンクリートの割れ目からも、陽の当たらないような場所でも、どんな苦しい環境でも生えてくる雑草のどこが弱いというんだ。そう思った。いや、思っていた。読み進むにつれて、だんだんと理解することができた。そして今の雑草に対するイメージは「とても賢い、努力を続ける植物!」だ。ただ強いだけじゃダメ。いかなる環境でも子孫を残そうと努力し、その場に適応して行く。経験などを積み重ね生き延びる方法を見つけて行く。それらの姿はものすごくかっこいいと思った。賢く、努力を続けるという雑草の姿はまさに私の目指している姿だ。私はこれからも雑草を見習って行きたい。今までとは違い「強くなる」というイメージではなく、「賢く、努力を続ける」という姿を目指して。
- 雑草はなぜそこに生えているのか。言われて見れば全く分からないこの問い。どこから種が来たのか、どうやって固いコンクリートやアスファルトに根を張っているのか、どっから栄養を取っているのか。雑草の定義からどのように雑草が種を守るために進化してきたのか。分かりやすく詳しく説明してあった。特に、僕は今まで雑草はむしってもむしっても根強く生えてくるしぶとくて強い植物だと思っていた。しかし、本当はそうではなく、弱いからこそ様々な生き残る工夫をしてきたのだと知った。そこから人間の競争社会での生き方も考えさせられた。
- 今まで読んだ本でTOP3に入るくらい面白かった。今まで雑草はとても強い植物でどこにでも適応できると思っていたのでそのイメージは完全に壊されました。雑草は人間がいることで行きていけているということにもすごく驚きました。虫媒花が残っていくのもすごく納得できて本当に読んでて面白かった。
- この本を読んで雑草についての考えが少し変わりました。私は、マンションの●階に住んでいますがベランダに出るとそこにある排水口に雑草がすごく生えています。正直邪魔だなと思ってました。ですが、雑草が実は山奥などのところはあまりにもほかの木があるため生きていけないということを知って少し仕方ないかなという気持ちが湧きました。雑草に限りませんが「C-S-R三角理論」は、面白いなと思いました。人間に例えるなら性格みたいなものが植物にもあるのだと知って興味深いなと思いました。雑草が生き抜くのが難しいことや育てるのが難しいことを知りましたが、それでも私は家で雑草を見つけたら必ず取ると思います。
- 今まで雑草というのは刈っても刈っても生えてくるのでとても繁殖力が強いと思っていた。しかし、実際には他の植物との競争には弱く、他の植物が生えないところ(人間が管理をしているところ)などを選んで生えるということらしい。ただし、人間が踏んだり、耕したり、刈ったりすることへの予測不可能な環境の撹乱には強い。むしろ、そうされることによって生存の場を生んでいるということらしい。そのことに、とても驚いた。普通は生きるのが苦しいところには行きたくないはずなのに雑草が他の植物との競争には弱いからそうせざるお得ないわけである。人間においても同じことだと思う。自分の個性(強み)を発揮するところは十人十色であり、雑草もその個性を発揮している場所がそこであったということである。私も普通に競争しても勝てないと思うので、自分の個性を発揮する場所を他の人と変えてみようと思いました。
- 私は小さい頃は自然に囲まれた社宅に住んでいた。その中で色んな雑草を見てきたし、食べたりもしていた。だから私の中での雑草は小さい頃の思い出の代表のようなものだった。そして幼少期に一度は考えたことがある疑問をこの本の作者は全て答えてくれた。
そしてその中でも特に驚いたのは雑草は弱い植物だと言うことだ。社宅の雑草もよく定期的に刈られていたのだが、それがある意味、植生の遷移をさせず、雑草の世界を守るためだと書いてあった。その一文を見て私は、友達と一緒に棒きれを持ってよく雑草切りをしていたな、と感慨に浸っていた。そんな私と友達はある意味で植生の変遷を遮っていたのかもしれない。
この本の特徴は最終的には雑草を例とした、社会や人生観を主題に変えていることだ。雑草たちは自分の居場所を見つけナンバーワンそしてオンリーワンにもなっている。そして作者はこうとも言っている。「ナンバーワンになれるオンリーワンを探すと言う生物の世界の営みは、生きづらい人間の社会を生き抜くのに、とても役立つ考えであるように、思う。」
私はこの言葉に深く感動した。我々は学生という立場の中で勉学という一つのものを偏差値という数値化したもので比べ合い、一喜一憂したり、人生が決まったりする。確かに、勉学という誰でも努力すればできもだから努力値を図りたいがためにやっているのだ、と言えばそうかもしれない。ただ私は全ての人が一つのものを比べあって人生を決めるのは馬鹿らしいと思う。一人一人に価値があり、本当の価値を見出される方法の方がよっぽど良いのではないか。そのぶん実績を試験に入れるのはとても良いことだと思う。~の賞を取ったや~活動をしましたなど、勉学には現れない価値をもっと見出し、オンリーワンでありナンバーワンでもある居場所を見つけられたらなとこの本を読んで考えさせられたのである。 - 「若い時には一つの道に進むのもいいが、いろいろなところに寄り道しながら歩くのも悪くない。私の人生はみちくさを食ってばかりである」これは「おわりに」で作者が語った文章です。雑草の話もたいへんおもしろかったのですが、私はこの文章がとても印象に残っています。中学生、高校生と将来について考える時期ですが、正直私はこれから大人になり仕事をするという実感が湧きません。それだけに「将来何になりたい?」「将来何をやりたい?」という質問をされると「もうそんなことを真剣考えなければいけない年になったのか」と焦ります。そんな私の目に、先ほど記した文章が飛び込んできました。衝撃でした。そしてなんだかスッキリしました。焦らなくてもいい。未来にやることが決まらないなら、いまできること、やりたいことをやればいい。そんな風に教えられた気がしました。そこで私はとりあえず「今」やりたいこと、興味があることをやっていこうと思いました。そしてその経験の中で自分が「将来」やりたいことを見つけていこう、と前向きになれた本でした。
- 僕は「雑草はなぜそこに生えているのか」を読んで一番印象に残ったのは第8章の「理想的な雑草?」です。理由は僕の理科の論文をまとめる宿題でヒートアイランドの論文をまとめたからです。この本では、乾燥などの環境でも育つことが出来る雑草を増やすことでヒートアイランド現象を改善出来るのではないかということが書いてありました。また、僕がまとめた論文では緑を増やすことでヒートアイランド現象を予防、緩和出来ると書いてありました。このことから緑の中でも雑草を増やすことでヒートアイランド現象を抑制することが出来るのかなと思いました。また「雑草もいいところがあるんだ」と思い、とても印象に残りました。
- この本は本当に教えてもらうことが多かった。僕は自分でも良くわかるほどとてもポジティブで、何かしら失敗をするたびに、「大丈夫、次がある」や、「全然平気だし」といった風に自分に聞かせて立ち直っていて、その度にまた失敗してしまうことの無限ループで、何か大切なことを忘れてしまっていた気がした。でも、この本を読んでからは何が足りないか気ずかされた。それは、雑草が踏まれても必ず花を咲かせるように、失敗して言い聞かせるのではなく、何が足りないかを判断し、次に繋げることが大切と言うことだ。なので、これからは、気ずいたことを忘れずにこれからに活かしていこうと思いました。
- 「雑草は植物の中の競争に弱い。」私はこの文章が読んでいて1番驚いたところです。雑草は「踏まれても踏まれても立ち上がる」という印象が強かった。しかし本来雑草は「踏まれても立ち上がる」のではなく「踏まれたら、立ち上がらない」というものだった。元々、植物内の競争に弱い雑草は、森林で生きていくことができない。だから、自分が生きていける場所選び生きている。そしてその場所こそが人間がいる環境だったのだ。
雑草は植物内の競争には弱い、しかし雑草ただ戦う場所を考えているだけで植物内の勝負から逃げているわけではない。雑草は土の少ない道端にはえることは、雑草にとっては戦いであるし、耕されたり、草取りされる畑に生えることも雑草にとっては戦いだ。だから、生きるためにちゃんと勝負に挑んでいるのである。私はこのように生きている雑草のとこは気にしてなどいなかった。しかし雑草には雑草の戦いがあることを知り、雑草も生きる努力をしていることがわかった。
この文章を読んで思った疑問は、なぜ雑草は植物内の競争の中で戦うような進化をせずに、初めからほかの強い植物のいないところにいったのかということです。私はこれを調べてみたいです。 - 多くの植物の生殖方法は、花粉を風や虫に運んでもらうことが一般で、そのために花の中には雄しべと雌しべがありますがどうしてそのような構造になっているかを知りました。植物は自分の雄しべが雌しべにつ付いて自殖を避けるために雄しべよりも雌しべの方が長くなっていることがわかりました。その他にも、雄しべと雌しべの熟す時期をずらす「雌雄異熟」という方法や花の種類を二、三種類のグループに分けて、同じ種類の花同士で交配できなくする「異型花柱性」という仕組みがあることがわかりました。
- 私は、ゴールデンウィークの宿題で雑草について調べており、雑草への興味は以前からあったが、雑草の知識は殆ど無かった。しかし、今回この本を読み、雑草がどのようなものなのかよく分かった気がする。
私は今回、初めて雑草が大昔から存在していた事と、雑草はこれまで多くの環境の変化を乗り越えてきたことで今があり、今後もなくなることはないと考えられるということを知った。私は、雑草が抜いても抜いても生えてくる理由が分かり、植物は生きていく上で、雑草を避けることは極めて難しいのだと分かり、雑草は「しぶとい」植物なのだと思った。
178ページの「そして、もしかすると、見出されていない価値は、あなた自身の中にあるのかも知れないのである。」という言葉も印象に残った。私は、価値のないものなど世の中には殆ど存在しないのだと思った。私は今後、物事に対して「価値がない」と思った時には、それがどのような価値があるのかを探していくことが大事だと思った。雑草がどのような価値があるのか、雑草の知識がない私はまだ分からないが、雑草の知識を増やしながら、それを考えていきたい。 - この本の内容は読めたのですが1度の読みでは理解が浅かったように思います。一応本は買ったので2回3回と読み直してみます。でも植物から学ぶことはとても多いなと感じました。植物といってもまだこれは雑草という本の一部なのでまだまだいろんな学べることがあるんだなと思うとわくわくしてきます。ナンバー1しか生き残れないというのはとても厳しい世界だと僕以外の誰でも思ったと思います。でも人間と一緒でそれぞれの個性を生かしてまだだれも手を付けていないところに自分で入っていくということはできると思います。山梨大学でノーベル賞を取った方も同じ発想だったと思います。僕もこれからいろいろなことにチャレンジしていく過程で自分の才能を見つけて自分がしたいことをそしてやりがいの感じられる何かを見つけたいと思います。
- 私はこの本を読んで今まで1回も気にしたことが無かった雑草の凄さを学びました。例えば、環境に適応して進化する雑草や工夫された生殖生理方法です。特にゴルフ場のグリーンの高さに合わせて生えているスズメノカタビラの「生きてやろう!」という適応力には感動しました。私もこの雑草たちのように環境に適応出来るたくましい「雑草魂」を持った人間になりたいと思いました。
- この本の著者である稲垣栄洋さんは、「教科書からはみ出した存在」である雑草を研究していた。このことから私は研究の第一歩は身の回りの小さな出来事に疑問を持つ事が大切だと学んだ。私もこのような姿勢を忘れずに、卒業研究に取り組んでいきたい。
- 雑草の生存競争や、外来種も環境に適合するために、頑張っているということをを知ってそれぞれの雑草が、生きるためにと懸命に育っていき繁殖する様子を読んで、お父さんに手伝わされる草むしりが、何故か申し訳ない気持ちでやらなければならなくなりました。
- 僕は、192ページの一文「自然界にはなんの法律も道徳ももない。」という一文がものすごく印象的でその通りだなと思いました。法律や道徳があって、教えられている人間とは違い自然界にはそんなものは存在しない。それなのに、植物は昆虫に蜜を与え、昆虫は植物の花粉を運ぶ。このような共生生活をしている。一人だけで勝ちを求める生き方よりも、他人と助け合って生きて行く方が得である。これが自然界が導き出した答えなのだと思いました。やはり人間とにているところがあるなと思いました。
- 雑草について正直あまり興味もないし、何か知りたいと思ったこともありませんでした。別荘の草むしりをしたときに面倒くさいな、なんで抜いても抜いても生えてくるのかと考えたくらいでした。この本は雑草の定義からその生存戦略や生態系の不思議など思っていた以上に壮大なテーマについてわかりやすく書かれていました。「あえて戦わない戦略」がこんなに考えられているものだとは思いもしませんでした。人間の競争社会での生き方にも通じる部分が書いてありました。戦争でしか生き残れなかった昔と違って今の社会だからこそできる戦略だとも思いました。この本を読んで雑草の生き方を知り、驚いたとともにあえて強敵に挑むだけでなく自分の特徴をいかして生き残る知恵に共感しました。