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中3:修学旅行

3月3日から6日の3泊4日の日程で、沖縄へ修学旅行へ行ってきました。学年末考査の最終日の朝に荷物をトラックに積んで送り、1日休みを挟んで3日朝6時30分に羽田空港の太陽の塔に集合でした。荷送りの日は寝坊をしてしまって荷物を送れない(当日空港まで持参する)という生徒もいましたが、修学旅行当日は参加者の遅刻はなく、全員無事に飛行機に乗って沖縄へと出発しました。

初日は、ひめゆり資料館、平和祈念資料館と平和の礎(沖縄慰霊の日の式典会場として誰もが一度は見たことがあるはずの場所)を巡りました。青く清浄な東シナ海を見渡すその丘は、燦々と降り注ぐ明るく暖かい陽射しにも関わらず、礎に平等に刻まれた先人たちのお名前を目にしては自分の現在を顧み、切なさを感じて平和を祈らずにはいられない場所でした。その後は4つに分かれ、壕(沖縄では自然に洞窟のような穴があり、「ガマ」などとも言われる。防空壕や野戦病院などとして使用された)に行き、懐中電灯を消したり当時の環境を体験しました。ひんやりとした空気と静寂の中に滴る水の音、岩のごつごつとした肌触りやいくら目を凝らしても先が見えない暗闇に、戦争当時の恐ろしさと過酷さ、ここで過ごした人々の苦労を偲びました。

2日目は、沖縄国際大学の学生さんとのフィールドワークと読谷村フィールドワークの2本立てでした。沖縄国際大学では班に分かれ、学生の方に大学内を案内していただき、すぐ隣に建てられた普天間飛行場やけたたましいエンジン音を轟かせて上空を行く輸送機、かつて米軍の機体が墜落して焦げ残ったアダンの木やプロペラにえぐり取られた旧校舎の外壁、3つの塔やトーチカなどを見て、沖縄の現在を体感しました。読谷村では、チビチリガマ(集団自決があった壕)の入口の広場で、当時の状況や悲劇が起きてしまった原因、現在の沖縄の状況についてのお話を講師の方に語っていただきました。他人事ではなく日本全体や個人に関わる大きな問題であるという現実を直視し、もうまもなく参政権を手にする身としての当事者意識と問題意識を新たにしました。真実の大切さや命の尊さ、人と人との支え合いを改めて知り、当たり前だけれども身近な生活にも言えること、生かせることなのだということを学びました。読谷村役場では読谷村の歴史や平和活動の原点と今、座喜味城跡では琉球の歴史の重みを目の当たりにしました。

3日目は、離島体験でした。ここからは自分が希望した島(渡嘉敷島または伊江島)に分かれて船で向かっての学習でした。渡嘉敷島は、対面式後にアクティビティーとしてシュノーケリングをし、平和学習をしてから、民宿でお世話になりました。当日は3月5日ということで「サンゴの日」のイベントがあり、現地の方やアーティストの方の発表、マグロの解体ショーなどで交流をし、現地の方も生徒も区別なく、みんなでカチャーシーを踊りました。伊江島は、陽気な踊りで迎えてくださった対面式の後、班ごとに各民家に分かれて、それぞれサトウキビの収穫体験や貝殻やサンゴのキーホルダー作りなどの様々な体験をし、島内の各地(戦跡や景勝地、白い砂に波が打ち寄せる海辺など)を散策しました。

4日目は、渡嘉敷島コースは島内散策の後に離村式をしてゆっくりと本島へ戻る予定でしたが、荒天のために高速船が欠航。離村式を済ませたお昼頃、臨時のフェリーで本島へ渡り、そこから急遽ゆいレールをバスに変更しての首里城や国際通りの自由散策となりました。大波で船酔いする生徒が多かったようです。伊江島コースもあいにくの雨でしたが、離村式では沖縄の伝統舞踊を習った班が発表するなどしました。それからフェリーで本島に戻り、首里城と国際通りの自由散策をして、各班で集合時間に間に合うように那覇空港へ向かいました。それらの行程を終えて、全員が那覇空港で合流し、飛行機に乗って羽田空港へと無事に辿り着きました。

どちらのコースも、楽しく沖縄の風土を体験したり、現地の方々の温かい人柄に触れたり、真剣に沖縄の歴史と平和の尊さを学び、中学校最後の良い思い出となったようでした。

離村式後、フェリーに乗って民家の方々に手を振る様子。

離村式後、フェリーに乗って民家の方々に手を振る様子。沖縄の言葉には「さようなら」はないのだそう。「行ってらっしゃい」という言葉で見送っていただいた。

沖縄の海。天候によって七色の表情を見せるという。

沖縄の海。あいにくの空の色だが、天候によって七色の表情を見せるという。

首里城公園にて。沖縄の城に独特な波打った城壁があり、朱塗りの鮮やかな門が目を引く。勾配は急だった。

首里城公園にて。沖縄の城に独特な波打った城壁があり、朱塗りの鮮やかな門が目を引く。勾配は急だった。