お知らせ
高1:生物基礎(課題図書「京大変人講座」)
高校1年生の生物基礎では、
定期的に課題図書を設定しています。
7月考査の課題図書は、
「京大変人講座―常識を飛び越えると、何かが見えてくる」
でした。
高1の夏の課題として、本校独自の進路教材「未来の履歴書」が実施されます。
その課題に取り組むにあたって、
「大学とは何か」「大学で何を学ぶのか」
という根本的なところを感じてくれればと思い、採用しました。
また、身近な常識に「問い」を持って立ち向かう研究者たちの言葉は、
この夏の探究課題に取り組むにあたって、よいアドバイスにもなったようでした。
以下に生徒たちの書いた感想の一部をご紹介いたします。
- 京大変人講座というものだから、どれだけ京大の人がぶっ飛んでやらかした話かと思っていたら、想像の100倍まともというか興味のわくものばかりだった。特に生物学や地層とか地球誕生から今までの流れの話などは特に面白かった。やっぱり自分は生物とかが好きなんだなって思った。京大レベルは無理だけど自分も大学で生物や地球のことを研究してみたいと思った。
- タイトル通りとても面白い作品だったと思う。特に、氷河期は繰り返されることにとても驚かされた。読んでいる途中に「今の地球は温暖化の真っ只中という状況なのに、氷河期の間氷期の最中なのか」という疑問にたどりついた。実際、その後の文章でも温暖化について触れており、読み進めた結果、筆者も似たような疑問を持ち、間氷期と温暖化については予測不明ということを言っていた為、僕の中でいっそう謎が深まった。結果、何か気づくことはないかと探しながら読み進め、余計に熱中して読んでしまった。
- 確かに今の時代では様々なものが便利になってきているが、それと同時に不便ゆえの『面白さ』というものが段々と失われてしまっている気がする。例えば、先日このようなことがあった。私は本屋に本を買いに行った。この頃は、本を買うときは電子書籍で買っていたものだから、随分と久々に本屋に行ったのだと思う。私は買おうとしていた本のことだけを考えていた。しかし本屋から出てきた私の手には、ぱんぱんになった紙袋が握られていた。そう、目当ての本以外も買ってしまったのだ。電子書籍で本を買う際にはありえない新たな出会いを得るチャンスを、図らずしも私は得ていたのだ。そのような体験を日頃からしていたおかげで、不便ゆえの『面白さ』に強い共感を得ることができ、とても印象に残った。
- 「自分の感覚を信じ、育てることを、もう少し大事にしてもいい」と聞き 私は最初そうは思いませんでした。なぜなら、ある部活が後輩の自分勝手な感覚により荒れたからです。だから、「そんな事はないだろう」と考えたところで これが自分の感覚であることに気づきました。なるほど、こういう感覚を育てれば良いのかと思いました。「なぜ鮨屋のおやじは怒っているか」というテーマ、非常に面白いです。なんとなく簡単そうですが、では類似したものを考えようとなるとなかなか思いつきません。これが普通の人か…と自分に思ってしまいました。見るからにぶっ飛んでる人は「普通」を意識し過ぎてるから実はそんなに変ではないというのが分かった気がしました。
- 生物の授業でシアノバクテリアによって酸素が生まれたと学んでいました。なので私は、酸素が生まれたから人間のように酸素を使う生物が生まれたものだと思っていました。けれども、この時代の酸素を使わない生物にとっては勝手に発火する有毒な物質だとは思いもしませんでした。そして私たちが今生きていられるのは、「たまたま」適応できたからにすぎないとわかりとても幸運だと思いました。
- 私は、サービスの部分に強く共感した。それと同時に衝撃を受けた。特に、経済学の部分では、高級な寿司店を例に挙げた部分が心に残った。不便であるということが、いかに重要な武器であるかを知ることができた。私は、サービスといえば、おもてなしという言葉が思い浮かび、相手に尽くすものであるという考えのもとでこの章を読んでいた。しかし、読み進めていくうちに、不便という、もてなしと正反対の方法で客を幸せにする店があることを知った。私は今まで、サービスは、尽くすものであると考えていた。しかし、それとは真逆の方法で接客する店もあり、大変新鮮であった。これからは、切り口を変えてものを考えてみようと思った。
- この本を読んで、勉強ができる人を見ると『少し変わっているなぁ』と思う理由がわかったような気がする、京大の人たちは常に変人でありながら物事をとことん追求することによって色々なものを生み出しているのだということが分かった。真似と言うわけではないけれども参考にするべきことだと思った。
- 僕はこの本を読んで、すべてのことを他人に任せるのではなく、自分の意見や感覚を大切にすることが大事だということがわかりました。また、危ない経験や苦しい経験をすることが自分達の資源となり、これを手がかりにどうすればいいのかと考えることができると言うこともわかりました。これからはこのような取捨選択を見極めるためのアンテナを鋭くしたいです。
- 印象に残ったのは「自分の感覚を信じ、育てることを、もう少し大事にしてもいい」という部分です。これは、安心安全な国という環境で何も考えずに、判断を国に任せることは嘆かわしいということから言われた言葉です。なぜ、この部分が印象に残ったかというと、「この言葉は自分にも当てはまるのではないか?」と思ったからです。これが自分のどこに当てはまるのかというと、いままで人に何かをやれと言われてやってきたことが数多くあり、自分から積極的に何かをやろうとしたことがあまりないという点において当てはまります。今は、人にやれと言われたことをこなしているだけでなんとかなるかもしれません。しかし、これから私だけで判断しなければならなくなったとき、私だけで判断したという経験がなければ、上手な判断を下すことができなくなるかもしれません。なので、私は判断力をつけるために、これからは些細なことだとしても、失敗したとしてもいいので、判断をするという経験をできるだけ積みたいと思います。
- 京大にいる変人を紹介する本かなと思ったが変人とされる先生たちによる講座であった。「なぜ鮨屋のおやじは怒っているのか」を実際に鮨屋にカメラを設置して撮影と分析しているのはとても驚いた。本を読み進めていくうちに京大にいる人達の柔軟な発想にとても驚いた。たぶん変人だからではなく面白い発想ができるから変人と呼ばれるのだと思う。
- 今、僕らは、スマートフォンをほとんどの人が持ち、わからないことなどをインターネットで調べられ、友達と遊ぶことは、ゲームのオンラインで、お正月の年賀状も書かずにLineで伝えている人も多い。そのことによって人々の楽しみが気づかずに奪われてしまっているのではないか。不便だからこそ、実際に集まって遊ぶことが楽しいのではないか、一歩も家から出ずにインターネットを見て時間をつぶすのがつまらないのはそういうことなのではないか、と思った。最近はアナログの心理ゲームにはまっているのも、そういう影響があるのか、と思った。
- 私はこの本で「常識をまず疑う」という点が一番印象に残りました。変人になるための必要条件です。まず変人になるという点に驚きました。変人など元から変な奴のことを言うのだろうと考えていたので意外でした。常識を疑うためにはまず世の中を観察することとその解決策を見つけるための学力が大切だなぁと思いました。今年の自由研究を行うためにもそのようなことを日々意識しようと思いました。
- この本の表紙や冒頭には「変人」という言葉が多く見られた。そこだけでも面白さを感じたが、京大総長の山極寿一さんの話にあったフィールドワークでゴリラと一緒に10ヵ月過ごし、人と会話しない生活を送ると人間の言葉を忘れる。といったところでも面白かった。この本の内容では今まで習ってきた理科の授業の内容が所々入っており、読みながら軽い復習をすることも出来た。この本を読んで、表紙などに書いてある「変人は褒め言葉」というのが少しわかったような気もした。
- 「変人」の話す様々な学問について「こんなに面白おかしく学ぶことができるんだ」という、発見ができた。特に、「鮨屋のおやじがブスッとしているのか」というのは特に面白かった。客にマウントをとる経営戦略は普通のファミレスなどの逆をとっており、私が大人になった時にも活用ができる戦略だなと思った。
- 「問い」は大事だと言うことを学びました。14ページにもあるよう自分ならではの疑問はそのまま放っておくのではなく、行動することが大事だと言うことを学びました。それと同時にそのような行動は大学で学べると言うことがわかりました。そしてこの本では、地球ができるまでのプロセスや、未来の大絶滅について、その他に店でのサービスについて色々と、今まで考えたことのない自分によくある身近な話ばかりで見ていてとても勉強になりました。また、僕が一番印象に残った話は「安心.安全」とは何かと言う話にはとても読んでいて、作者の意見に納得しました。
- 特に印象に残ったのは第4章の「なぜ、遠足のおやつは”300円以内”なのか」です。小学生の頃私は「なぜ300円までなんだろう」と少し不満でした。しかし、今よくよく考えてみると、300円であったからこそ、私は普段あまり食べない駄菓子に手を出してみたり、どれにしようか迷ってみたりと、ある意味楽しんでいたのかもしれません。このように、この章では「不便」であるメリットについて紹介されていました。確かに林間学校などの宿泊行事でスマホから離れた生活をしてみると案外「不便」であるメリットを感じることができます。近頃は文明もある程度発展したせいか、高度経済成長期のような「完璧」さよりもあえて「不便」を残す風潮を感じます。現に、文中にも記述されていた「星のや京都」はまわりとぐるりと山と川で囲まれた不便な立地であるにも関わらず、非常に高い人気を博しています。「『不便』は必ずしも悪とは言えない。むしろ、良いものなのかもしれない。」と思いました。実際、夏休みに行くホームステイでは私もこの章の川上教授のように、「スマホを持たない生活」をします。そこで異国で感じた自然な気づきを感じてみたいと思います。
- 冒頭にあったゴリラになりきる研究に衝撃を感じました。他のテーマは比較的まともな研究をしていたのですが。冒頭のゴリラになりきる研究が面白かったです。途中途中で知らなかった単語がいくつかあって読みづらいところもあったので辛いところもありました。一方で「学校では教えてくれない『恐怖の地球史』」というテーマでは学校で習ったことが出てきたので読みやすく、嬉しかったです。
- 正直、ゴリラを研究するためにゴリラと一緒に過ごすというのはかなり驚きでした。大学というもとの就職のための踏み台と考えるのではなく、自分の知りたいこと研究したいことを研究する場なのだと再認識しました。やはり自分の興味関心があるものを学べる大学に行きたいと思いました。
- 最近、大学の教育充実度調査が行われました。そこで東京大学を抜かし、1位に選ばれた大学は京都大学でした。京都大学は東京大学に比べ自由な校風で知られのびのびと学校生活を送っている人が多いと聞きます。そのため学生の探究心が強く、研究論文が充実しています。京大には変人とよばれるひとがたくさんいます。これは決して人をけなしているのではなく誉め言葉として用いられているのです。夏休みに探究の課題がありますが、良い研究成果をあげるのならば自分自身を変人になるまで追い込み、課題に向かって真摯に向き合う必要があると思います。
- 僕たちは去年の夏休みに卒業課題として自分の調べたいことについて研究や調べものをして、一つのレポートにまとめた。そのとき僕は自分の調べたいものというのが全くなかったので、その時はハマっていた映画についてまとめた。しかし、ただネットで調べたものを書いただけだったので研究とは言えず趣味の領域だったと思う。僕は、この本を読んで一度自分は将来何になりたいのかをもう一度考えてそれを次の研究のテーマにしようと思った。
- 私はこの本の4章の内容がとても興味深く、面白いものだと思った。この章は主に不便さがもたらしてくれる利益、『不便益』について書かれているのだが、その凡例が面白い。例えば『左折オンリーツアー』という筆者が観光の楽しみ方の一つとして考案したものがあるのだが、これはその名の通り左折しか出来ず、それにより周囲を見渡す時間が増え、観光がより楽しくなるだろうもの。こんなものをよく思いついたものだと感心した。それも変人だから出来た事なのかもしれないが…。
- 僕が一番印象に残っているのはP112の「何故か違和感のある理由」です。安心と安全はそれぞれが別のものであるのに一緒に使われている。自分の安全や安心を案じるとどうしても他のものを信用しなくなり、人任せにすると問題が増えるので丸投げができなくなり歯止めがきかなくなります。というものでこれは自分にもそう言えるので学ぶ部分が多くあり、丸投げしてもいい結果が出ないそう思いました。またこの文章では自分は変ではないと気付かされ考えがポジティブになりました。
- 変人は、世間ではあまり相手にされないと考えていたが、本書を読むことで「人類の繁栄になくてはならないというもの」だという風に考えが変わった。何かを研究するうえで大事なのは、人と違うということだ。「みんな違ってみんないい」という言葉があるが、私は大多数の意見に流されてしまうことが多い。今回改めて個性の大事さを理解することが出来た。
- 私はこの本を読んで今までの自分が考えを見返し、改めました。便利以上に素晴らしいことはないと思っていました。全てのことが自動やAIがしてくれる時代になり、科学技術も、さらに進んでいるのがわかります。しかし、このままだとつまらない社会になっていく気がします。手間や時間が全くかからないのは逆に人間にとって悪影響だと思います。この本の通り不便さを取り込むこともいいことだと感じました。
- 私はこの本を読みまず思ったことは、テレビでよくみる人よりずっとおかしいということだ。石を永遠と見続けていたり、宇宙について疑問を持っていたり。正直普通ではない。でも逆に考えるとそのようなごく当たり前にあるこの世の中の摂理をおかしいとしてとらえることができる能力を持っているとも考えられる。夏休みの論文を書く上で先生が言っていたとおり近くにある当たり前のことや俗説は本当に正しいのか疑問に思うことは論文を書いた上で大発見になるのみならず、偏差値にも関係してくるものだと感じた。
- この地球上の発展は”変なヤツが支えてきた”…僕がもし、この言葉をなんの前置きもなく、誰かに言われたら、「この人は何を言っているのだろう。」と思いました。しかし、本を読むとたしかにその通りだと思わされました。僕の中でこの事をすんなりと理解できたのは、シアノバクテリアのくだりです。たしかに毒である酸素に偶々対抗することができるヘンなヤツが進化していって人間などになっていくと思えば、先ほどの言葉の通りだとわかるからです。
- 僕は科学技術や医療技術、そして今の地球に生物がいるのは全て変人性を持つ生物がいたからだと知りました。過去の生物たちは、周りの生物と少し異なった性質をしていたため、全地球凍結などの危機で生き延び、次世代に受け継いでいったという事を知りました。そして現在では、研究者たちが今までの常識と反れた研究をしたことで新たなことを開発し、今の自分たちが生活できていると感じました。
- 少なくとも日本において、ほぼすべてと言えるほどの大多数は、問いを考えるよりも明日会社に行かなければならない人たち、つまり「地に足のついている人」です。一方で京大の研究者に代表される問いを考えることで生きていく人々は、ある意味で特権的で、ごく少数であると思います。しかし、与えられた小さな一つ一つの仕事の効率などに、「これで良いのだろうか」という問いを持ち、改善させられるのは、13ページにあるような「地に足がついている人」なのです。つまり、極論を言えば本来我々が直に恩恵を受けられるのは、「なぜ地球に比べて火星の磁場は弱いのか」と考えたりする人たちよりも、「地に足がついている人」なのかもしれないと思ったのです。それゆえに、本当に変人たるべきは地に足のついた一人一人であると思いました。
- 中学3年の6月ごろから始まった私の「変人好き」は、ここのところますます拍車がかかっており、気づけば周囲の人間は、俗にいう「癖のある人」ばかりになっている。この本においてはあくまでも、変人が世界を変えてきた、つまりは他にないような発想で発展させてきたということを言っているので、ただただ変人を見つけては喜んでいる私は「不思議ちゃんマニア」になるかもしれない。しかしよく考えてみれば、友人の少ない私でさえ、以前生徒会の何たら委員長になった人、少し前に学年一位を取った人、そこかしこで名前が挙がる人、それに、これといった代名詞が見つからない人、恐らくその人の実状を伝えれば100人が100人変人認定するであろうと自信をもって断言できる人間がこれだけある。豊富な変人資源である。自分たちの学年の先生の名を告げるだけでも、同学年のみならず他学年までも笑いだすのと、何か関連があるのだろうか。
- 私は「サービスにおいて、提供者側が客を満足させようとすると、かえって客は満足しなくなる」という文章を見てとても驚いた。なぜならサービスは相手を満足させるためにやっているものだと思っていたからだ。しかし、「従属する人からのサービスは、価値が低く感じられてしまう」という一文を見て、「なるほどな」と、納得した。実際に、後輩からお菓子を貰うよりも、先輩や先生から貰った方が嬉しく感じるのは確かだ。私はこの本を読んで今まで自分が持っていた常識が色々と覆された。この本に書かれていることのように 、日常などに潜む常識を常に疑ってみるのも大切だと感じた。
- こんな言い方をするのは受験を舐めているようですが、私はまだ高1なのでまだまだ時間があってまだ迷う時間があると思うので、様々な学校を見て選ぼうと思っているのですが、この本を読んで、勉強面に関しては不安しかないのですが、京都大学は面白くて、通いたいと思う大学でした。トップレベルの大学を見据えて勉強をすれば、必ず目標まで行くとは限らないですが、相対的に学力が上がっていくと思うので、今は高いレベルの大学を見て勉強していきます。
- 自分が一番興味を持てたのは真核生物などに触れていた箇所です。最近生物基礎でやったゲノムなどについて書かれていてとても分かりやすく読みやすいと思いました。この本で、大学というものがどのような場所かを知ることができましたし、自分がどのような大学を目指すべきなのかを考えることができました。
- 日本屈指の難関大学、京都大学。以前まで私は京都大学の生徒に対して、沈着冷静なイメージや厳粛であるといった先入観を持っていた。しかし、本書を読み進めているとその考え方は自ずと払底されていった。そのきっかけの一例に、京大生にはとにかくやると決めた研究に打ち込み、没頭する特徴があるという記述があった。私はこの事実に憧れの念を抱いた。なぜなら私は人生で一度でいいから自分の本当に好きな物の研究だけを黙々とやり続ける事がしたいという思いが強くあったからだ。また、他ページに京大生は常識に捉われない幅広い観点を持っているという記述があった。この閉塞的な考察に留まらない京大生のような人の姿勢を持つ者こそ、世界を夜明けへと導く革命家になるのではないかと私は考えている。要するに発想の転換次第でこの世の概念はガラリと変わるのだ。教科書に書いてある内容が必ずしも事実だという証言はない訳だし、もしかすると世界は誤りで満ち溢れているのかもしれない。そう思うのは変人であり、だが決して「変人」ではないのだ。だからこそ自分の中での良識を確実に持っておかなければならない。そんなことを本書は私に語りかけてくれた。
- 「不便は手間だが役に立つ」という部分が印象に残った。最初読んだ瞬間は「やっぱり変なこと書いているなぁ」と思ったけれど、数秒後には「なるほど、たしかに」と自分の実体験と照らし合わせながら納得したからだ。例えば、文化祭の準備なんかは手間がかかるけど、終わった時の達成感や喜びがあるとか。この一冊にはこれくらいでは済まない量の面白いことが書かれているので、何回も読み直したい。
- 僕はある教科の先生に京大は変人ばっかりいるからねと言われたことがあったので、この本を見たときは、ほんとなんだと思いました。しかし実際に読んでみると意外と面白い内容が多く、すっかり読み入ってしまいました。その中でも特に気になったのが素数定規の話で、この話もその先生に聞いたことがあったので、より興味が湧きました。ただ長さをはかるだけなのに素数でない数字の時は計算が必要で、そんな小さなことにでも頭を使い自分から働きかけるというところを読んだ時、自分もこの本から学び、小さなことにでも頭を使うことを実践してみたいと思いました。
- 私はこの本が様々な分野について説明すると同時に、読者に道徳を教えているのではないかと感じた。私は特に第3章にあたる、「人間はおおざっぱがちょうどいい」という項目に非常に感動した。ここでは安全・安心というもの追求することを批判し、それらを実現するのは不可能だと語っていた。絶対的な安全・安心なものはないのだからそれらを求めるよりも、自分の感覚を信じて考える方が適切であるのだと。このことから私は、筆者が読者に対し、自分の力を軽視せず時には自分の力に頼ることも大事だと暗示しているのだと思った。
- 「京都大学」という文字を聞くと、やはり〇〇先生のイメージが強かった。授業中によく京都大学にまつわる話をしていて、「京都大学には変人しかいない」と言っていたため、「京都大学=変人」というイメージが強かった。そんな中、今回の本の課題でより多くの京都大学にいる変人について読んで、京都大学のイメージが少し変わった。また、「変人」と言われることを誇りに思っていて、そこが自分と違うと思った。